宝石になりたい石ころ

『宝石になりたい石ころ』略して“なりころ“

偏差値を25あげた話

私は幼い頃、口を開かない子供だったと親に聞かされた。その無口な性格よりわからないことがあっても、誰かに聞いて教えてもらったらはしなかった。ならば本などで調べていたのかというとそうでもない。

 

そういうわけで、私は無知なまま中学生まで上がった。中学の次は高校 そう、高校受験を目の前にしていた。親は出来の悪い私を心配して、ああだこうだ言っていた。

 

それは当然だ。親はこの心配をするものだ。そんなことは馬鹿な私でも知っている。しかしできないものはできないのである。

 

それは、最初のテストの出来栄えを見て、見兼ねた両親は私を某塾に通わせた。そこで実力テストを行った結果あまりにも酷い点数なため塾の講師ですら、門前払いの如く、お子さんはこの塾に向いていないでしょうと言われた。

 

もうどうしようもないと自分でもわかり、心を改め、日々勉強に励むようになった。

とは言っても、今まで何もできなかった私がいきなり出来ることもないので、前行った塾ではなく、他の塾に通うことにした。

そこの塾の先生は、私のことをよく理解してくれていて、私にあった勉強法などいろいろためになる話を聞かせてくれていた。そのおかげもあり、いろんなことにも興味が湧き、本を読むようにもなった。本を読むことは、国語力も上がり、知識も増え、プラスのことしかなかった。

 

塾に通い、一年が過ぎた頃、自分の成績は右肩上がりから平坦になってしまっていた。これ以上あがることないのかとやる気が下がっていて、塾にすら行きたくなかった。

 

すると、一本の電話がかかってきた。なんの変哲もない塾の先生からの説教電話でした。

 

その電話が少し怖くて、成績不振になったら怒られるんじゃないかって、若干怯えながら、勉強していると、ぐんぐん成績が伸びていき、逆に先生を黙らせてやる勢いで、勉強が楽しいと思えていた。

 

そうか、勉強は誰かのためにやってるんじゃなく、自分のためにやってるんだから、怯えながらやるもんじゃないんだなって気付かされました。

 

言いたいことは、勉強は辛いかもしれないけど、わかったら楽しいよ。周りの友達とかに教えたりしてる自分かっこよくない?って昔の自分と未来の日本の柱にささやきたいです。